松山千春の若い頃のプロフィールや音楽活動!

松山千春の若い頃の画像 シンガーソングライター
松山千春の若い頃の画像

松山千春の1955年から1982年までの若い頃の略歴、プロフィールや音楽活動!1982年北海道真駒内での野外ライブでの勝利宣言までを紹介。野外ライブでの若い頃の画像。

松山千春の生い立ちや略歴。

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プロフィール

松山 千春(まつやま ちはる)1955年(昭和30年)12月16日生まれ。

日本の男性フォークシンガー。

北海道足寄郡足寄町出身。

身長170cm。体重55kg。血液型はO型。

略歴。  

1855年  12月16日  北海道足寄郡足寄町で生まれる。

1962年  4月8日    足寄西小学校入学。5年生の時合唱団に入部する。


6年生のころた足寄で弾き語りのコンサートを開いた岡林信康を聴きに行ってフォークに目覚める。

1968年  4月2日    足寄中学校入学。 

2学年で生徒会長になる。3年のとき十勝管内弁論大会優勝。

1971年  4月9日    足寄高校入学。

1974年  3月     足寄高校首席で卒業。

1974年  4月    北見で就職。叔父が経営する店で住み込みでバーテンダーをして働く。

1975年  1月15日 成人式フォーク音楽祭全道大会出場。 2位に終わる。

1976年  4月
STVラジオディレクターで成人式フォーク音楽祭の審査員だった竹田健二氏に見いだされる。STVラジオ「サンデー・ジャンボ・スペシャル」に出演開始。15分コーナー『千春のひとりうた』で毎週自作の歌を北海道道民に向けて歌う。

1976年 10月    初めてのレコーディング。1stシングル「旅立ち」。B面は「初恋」

1977年 1月25日  1stシングル「旅立ち」でプロとしてデビュー。

1977年 5月     STVラジオ「アタック・ヤング」のパーソナリティを担当する。

1977年 6月25日  1stアルバム「君のために作った歌」を発表。

1977年 8月8日   北海道内8か所ツアーを開始。初日の札幌厚生年金会館は超満員。          

1977年 8月27日  恩人の竹田健二氏が亡くなる。

1977年 10月    オールナイト・ニッポン木曜2部を担当。

1977年 11月16日 北海道外初のコンサートを東京で開く。

1977年 12月    北海道内4か所でバースデー・コンサート・ツアーを実施。

1978年 1月     事務所オフィス・パンタを設立。

1978年 1月25日  2枚目のアルバム「こんな夜は」発表。

1978年 1月30日  「松山千春今年もよろしく’78」ツアー開始。

1978年 4月     オールナイト・ニッポン月曜1部担当に昇格。

1978年 8月8日   千春in足寄10,000人コンサート実施。

1978年 8月21日  シングル「季節の中で」発売。大ヒットとなる。

1978年 10月    FM東京「ひとつぶの青春」でDJ担当。

1978年 10月21日 3枚目のアルバム「歩き続ける時」発表。

1978年 11月16日 TBS「ザ・ベストテン」で「季節の中で」が1位になる。

1979年 1月12・13 札幌厚生年金会館でコンサート開催。

1979年 3月18日  春のコンサートツアー「生きがい」スタート
ー            オールナイトニッポン、アタックヤングともにDJ降りる。

1979年 4月5日   自伝「足寄より」が発売される。

1979年 4月15日  STVラジオ「今夜はきめよう!」スタート。

1979年 7月28日  松山千春ビッグ・サマー・シーン’79「大空」スタート。

1979年 8月20日 「夜明け」がテレビドラマのテーマ曲になる。

1979年 8月14日  初の海外旅行カナダ~アメリカ10日間に出かける。

1979年 9月3日  「失くした心を」ツアー開始。FM東京「ひとつぶの青春」DJを終了。

1979年 11月21日 アルバム「起承転結」を発売。

1979年 12月5日  武道館コンサート。

1979年 12月23日 STVテレビより「大空と大地の中で」放映。

1980年 1月     写真展「激流」全国各地でスタート。

1980年 3月3日   NEWSレコード設立に参加。

1980年 3月13日 「魂燃やすとき」春のツアーがスタート。

1980年 4月    オールナイトニッポン火曜1部に復帰。

1980年 5月5日  アルバム「浪漫」発表。

1980年 7月    ハワイでレコーディング。

1980年 9月3日  「風をうけて」秋のツアーがスタート。

1980年 9月21日  ダブル・シングル「人生の空から」発表。

1980年 11月21日 アルバム「木枯らしに抱かれて」発表。

1980年 12月28日 STVテレビより「CHIHARU TAKE OFF 25」を放映。

1981年 3月27日 「時代をこえて」春のツアーがスタート。

1981年 4月     テレビCFに初登場。STV「今夜はきめよう!PART2」スタート。

1981年 4月21日  通算10枚目のシングル「長い夜」発表。

1981年 5月21日  アルバム「時代をこえて」発表。

1981年 6月11日  TBS「ザ・ベストテン」で「長い夜」第1位。

1981年 9月21日  シングル「ふるさと」発表。

1081年 9月22日  「大いなる愛よ夢よ」秋のツアースタート・

1981年 11月21日 アルバム「起承転結Ⅱ」2年ぶりに発表。

1982年 2月25日 
 通算10枚目のアルバム「私からの手紙ーMY LIFE」全編インストルメンタルアルバム発表。

1982年 4月21日  シングル「夜よ泣かないで」発表。

1982年 5月21日 アルバム「大いなる愛よ夢よ」発表。

1982年 7月24日  Big Summer Scene ’82「大いなる愛よ夢よ」

1982年 9月1日  「大いなる愛よ夢よ’82」ツアー・スタート。

1982年 9月5日  シングル「夢の旅人」発表。

松山千春のBig Summer Scene ’82での勝利宣言。

松山千春の若い頃の画像
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格好良さ絶頂期だった1982年 7月24日 Big Summer Scene ’82「大いなる愛よ夢よ」の真駒内でのステージ会場で松山千春は勝利宣言をします。

以下の内容です。

勝利宣言

俺は・・・、勝ったと思う。俺は、この6年間の勝負に勝ったんだと思う。

だけど、ひとときの勝利に酔いしれてちゃいけないし。

また、新しいゲームが待っているからね。

また新しいゲームに挑戦しなきゃならないし・・・。

だけど、今だけは酔わせて欲しいんです。

勝利者として勝ち誇っていたいんです。

俺は俺なりにがんばってきたし、力いっぱいやってきたし・・・。

そして、この姿を一生懸命応援してくれた皆なに、そして、いつも支えてくれたスタッフの皆なに
見てもらいたかったんです。

もう、新しいゲームが始まっているなっていうのはわかってました。

「長い夜」という曲がああいう形になった時に、ああ俺は勝った!

次のゲームに行きゃなきゃ・・・。

それはわかってたです。

だけどけっこう勇気がいるんだよね。

次のゲームに行くの・・・・。

勝利に酔いしれている方が楽だし、また挑戦者になるのさびしいなと思ったけど、けど、

また勝負してしてかなきゃならないから。・・・。

けど皆なに約束するよ。

絶対、俺はまた勝つよ。次の勝負にも・・・・・。

絶対、勝ちます!

勝って、また勝利者としてこのステージにもどってくるよ。

   

松山千春の若い頃の画像。

松山千春の若い頃の画像。1982年 7月24日 Big Summer Scene ’82「大いなる愛よ夢よ」

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松山千春の若い頃の動画。

長い夜  松山千春
松山千春80年代 10 Songs ♪♪ ベストソングコレクション2019

松山千春 live
tabidachi

季節の中で  松山千春  1979

夜明け 松山千春  1979

まとめ。

今回は「松山千春の若い頃のプロフィールや音楽活動!」というテーマでお送り致しました。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

          


    

 

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